- 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
- 旧字体・古語は現代語になおします。
序文後編の解説
ここでは元明天皇の賛辞が続きます。
天武天皇以降の御代は、後継者が幼子であり、また短命な運命もあって、皇太子が成長するまで皇后が便宜上皇位を継ぎます。女性天皇の始まりです。
天武天皇ー持統天皇(天武天皇の皇后)-文武天皇(15歳で即位・25歳で崩御)-元明天皇(元皇后ではない女性天皇。この時、後の聖武天皇が幼かった為、中継ぎとして約8年のあいだ在位)
不安定な皇位継承の中で、天武天皇の遺志であった正史の編纂を完成させたのが元明天皇となります。なので、天武天皇と同じように有徳の天皇として、序文の中で称えられています。
また、和銅4年9月に命を下して、献上したのが和銅5年正月となっていますので、天武天皇の時から着々と準備は進められていたことが窺えます。というか、「もう完成していたけれど、すぐに提出するのも何だか気が引けたので、序文とか追記して3~4か月おいてみた。」という感じですかね。
それでは、序文後編をみてみましょう。
序文(後編) 現代文訳
謹んで申し上げます。
陛下(元明天皇)が帝位についてからは、なお有難き徳が国中に行き渡り、天地人の三統に徳によりまして国民は養育されてます。紫宸(北極星を指す言葉=天皇の威光)の徳治は、陸に於いては馬が駆け行けるところまでも、玄扈(伝説上の天子が座した所)の風習は、海に於いては船の先が行けるところまでも照らしています。
太陽は高く昇り輝きを増して、澄んだ空に雲が長く棚引いています。天下自然の巡りもよく、連理木や嘉禾の成長は吉祥の兆しであり、歴史書に多く記述されています。
また、烽火は絶えることなく、何度も通訳を重ねるような遠い国からも貢物があり、宮廷の倉が空いていることがありません。
陛下の御高名は、夏(中華最古の王朝)の文命(兎王のこと。中国最古の帝)をも越えており、徳の高さは、天乙(殷の湯王)を凌ぐと申し上げても不足はございません。
陛下におかれましては、旧辞(歴史・伝承)に誤謬が混じっていることを惜しみ、先紀(帝位継承・帝紀)に誤りを正そうと、和銅4年9月18日にわたくし安万呂に、稗田阿礼が天武天皇の命で記憶していた歴史・伝承を書いて書物にするように命じました。これによって安万呂は謹んで御旨に従い、編纂することになりました。
選び出した記録は、そのままを細部まで記録しようと努めました。しかし、古い時代の言葉ですので、今では使わなくなった言葉が使われ、文章化しようとして漢字を使うことは困難です。漢字の訓で書くと漢字の意味が通じず、音で書くと冗長になります。
このようなわけで、ある場合は一つの区切りのなかに音読み訓読みの両方を用い、ある場合は一つの部分のうちに訓読みだけとします。そして、言葉の分かりにくい場合は注をつけて分かるようにし、語句の解釈が容易な場合は注をつけないことにします。名前の「日下」を「クサカ」と読んだり、「帯」を「タラシ」と読んだりするものは変えませんでした。
記録した全体の範囲は、天地開闢から推古天皇時代のことです。
アメノミナカヌシ神からウガヤフキアエズ命までを上巻。
カムヤマトイワレビコ命(神武天皇)から応神天皇までを中巻。
仁徳天皇から推古天皇までを下巻としました。
あわせて三巻を収録し、謹んで献上いたします。
臣 安万侶 誠惶誠恐 頓首頓首
和銅5年(西暦712年)正月28日
正五位 上勲五等 太 朝臣安万侶
序文(後編) 原文
伏して惟うに皇帝陛下、一を得て光宅し、三に通じて亭育したまう。紫宸に御して徳は馬蹄の極むる所に被り、玄扈に坐して化は船頭の逮ぶ所を照したまう。日は浮びて暉を重ね、雲は散りて烟に非ず。柯を連ね穗を并す瑞は、史に書すことを絶たず。烽を列ね譯を重ぬるの貢は、府に空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙にも冠りたまえりと謂いつべし。
ここに舊辭の誤り忤えるを惜み、先紀の謬り錯れたるを正さんとして、和銅四年九月十八日を以て、臣安萬侶に詔して、稗田阿禮が誦む所の勅語の舊辭を撰録して、獻上せしめたまえり。謹みて詔旨に随い、子細に採り摭いぬ。
然れども上古の時は、言意幷に朴にして、文を敷き、句を構うること、字に於ては即ち難し。已に訓によりて述べたるは、詞心に逮ばず。全く音を以て連ねたるは、事の趣更に長し。是を以て、今、或は一句の中に、音訓を交え用い、或は一事の内に、全く訓を以て録せり。即ち辭理の見え叵きは注を以て明にし、意况の解り易きは更に注せず。亦、姓の日下を玖沙訶と謂い、名の帶の字に多羅斯と謂い。此の如き類は、本に随いて改ず。大抵記す所は、天地の開闢より始めて、小治田の御世(推古天皇)に訖べり。故、天御中主神以下、
日子波限建鵜草葺不合尊より以前を上卷と為し、神倭伊波禮毘古天皇(神武天皇)より以下、品陀御世(応神天皇)より以前を中卷と為し、大雀皇帝より以下、小治田大宮より以前を下卷と為す。并せて三卷に録し、謹みて以て獻上す。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。
和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶 謹みて上る。
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