古事記 上巻12

古事記
  • 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
  • 旧字体・古語は現代語になおします。
  • 神様は「柱」という数え方にします。
  • 大国主大神には五つの名がありますが、全て「ダイコク様」とします。

国譲りの交渉をはじめる

アマテラスは命じました。
「あの国は(豊葦原之千秋長五百秋之水穂国とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに=日本)は、わたしの子であるオシホミミ(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が統治すれば、より良くなるであろう。」と言い、オシホミミは高天原から降りることになりました。

オシホミミは母に命じられて、天の浮橋から地上に降りる途中で気づきました。
「地上(日本のこと)が、ひどく混乱している」
そして、オシホミミは引返して、高天原に戻り、母のアマテラスに相談しました。

オシホミミの話を聞いたタカミムスビとアマテラスは、天安河の河原に八百万の神を集めました。そして、オモイカネ神(思金神)に方策を考えさせつつ、アマテラスは言いました。

「この国(日本のこと)は、わたしの子が統治する国であると言い与えた国だ。しかし、この国は乱暴な国津神が沢山いるのです。これらの神々を静かにさせるには、どの神を派遣したらよいか?」

オモイカネと八百万の神は話し合い、「アメノホヒ神(天菩比神)を派遣するべきだ!」と結論付けました。
さっそくアメノホヒ神は派遣され、国に降りたのですが、オオクニヌシとの交渉が困難を極め、三年経っても高天原に経緯を報告することすらしませんでした。

心配したタカミムスビとアマテラスは、また諸々の神に問いました。
「あの優秀なアメノホヒが三年経っても全然報告してこない。どうしたことだろう。次はどの神を派遣したらうまくいくだろうか?」
するとオモイカネが答えました。
「アマツクニタマの子、アメノワカヒコ(天若日子)を派遣させましょう。」

さらに特別な弓と矢をアメノワカヒコに渡して、地上へと派遣しました。

アメノワカヒコは、無事に地上に降り立ちました。しかし、すぐにオオクニヌシの娘、シタテルヒメ(下照比売)を娶って、その国を自分のものにしようと企んで、八年経っても高天原に途中経過を報告することもありませんでした。

アマテラスとタカミムスビは、再び諸々の神に聞きました。
「アメノワカヒコが長い間、途中経過を報告してこない。どうなっているんだ。誰かアメノワカヒコのもとへ派遣して、なぜ出雲から帰ってこないか、その理由を聞きに行きなさい。」

すると大勢の神とオモイカネは、「すぐに雉のナキメ(鳴き女)を派遣しましょう。」と答えました。

今回の派遣に際してアマテラスは直接ナキメに下命しました。
「お前は地上に行き、アメノワカヒコに状況をこう問いなさい。『お前を地上に派遣したのは、その国の荒ぶる神々を説得し、和合するためだ。どうして8年経っても経過報告をしないのか?』と問いただすのです」と言いました。

アメノワカヒコの悲劇

ナキメ(雉)は、高天原から地上に降り、アメノワカヒコ(天若日子)の門の前にあるカツラの木の上に止まりました。

そして、アマテラスの命じられたように、こと細かく天津神たちの言葉を伝えました。
サグメは雉(=ナキメのこと)の声を聞いて、何を言っているのか解らず、気味が悪くりアメノワカヒコに語って言いました。
「この鳥の鳴き声はとても不吉です。弓で射ってしまいましょう。」
アメノワカヒコも同感の様子で、にわかに天津神から貰った弓(アマノハジ弓)と矢(アマノカク矢)で、ナキメを射殺してしまいました。

アメノワカヒコが射ったその矢は、ナキメの胸を貫通して、反対側から抜けて上へと飛んでいき、そのままの天安河の河原に坐すアマテラスとタカギ神(高木神)のところまで届きました。

タカギ神は、その矢をみると「この矢は、ワカヒコに与えた矢じゃないか。」と怪訝に思い、そしてすぐに諸々の神に見せて言いました。
「もしアメノワカヒコが使命に背かずに誤らずに、悪い神を射った矢がここに来たのならば、アメノワカヒコには当たらない。しかし、もしアメノワカヒコが初心を忘れ、邪悪な心を持っているならば、アメノワカヒコに矢が当たって死ぬことになる。」と言って、その矢を取って、矢が飛んできた穴から射返しました。すると、朝寝ている床に飛んでいって、アメノワカヒコの胸に当たって死んでしまいました。

また、使者として送ったナキメは帰ってきませんでした。
この故事から、今でも諺に「雉(キジ)のひた使」というのがありますが、その起源はこの話からです。

葬送の起源

アメノワカヒコの妻のシタテルヒメ(下照比売=大国主の娘)の泣く声が、風に乗って響き、高天原にまで届きました。高天原にいるワカヒコの父親であるアマツクニタマ神(天津国玉神)とその妻子が、シタテルヒメのしくしく泣く声を聞いて、地上に降りて嘆き悲しみました。

そこで、亡くなった所に葬祭場を作り、川雁を食べ物を運ぶ役目として、鷺を掃除係として、カワセミを神に供える食物を用意する係りとし、スズメを飯炊きとし、雉を泣き女と役目を与え葬送を営み、八日八夜の間、踊り食べて飲み遊んで、死者を弔いました。

この葬式にアジスキタカヒコネ神(阿遅志貴高日子根神=大国主の子であり、下照比売の兄)がやって来ました。
するとワカヒコの父と、シタテルヒメが驚き、泣いて言いました。
「わたしの子は死んでいなかった!」
「わたしの夫は死んでいなかった!」
と、アジスキタカヒコネ神の手足にすがって哭き悦びました。

アメノワカヒコとアジスキタカヒコネ神の2柱が、とても似ていたからです。

この出来事にアジスキタカヒコネ神はとても怒り、「わたしは愛しい友だから弔いに来たのだ!死者と同じにみなすとは、何たる無礼だ!!」
と言って、身につけていた太刀を抜くと、喪屋の柱を切り壊し、足で蹴っ飛ばしてしまいました。


これが美濃国の藍見河の上流にまで飛んでいき、現在の「喪山」が出来上がりました。
喪屋を壊したときに使った剣の名は「オオハカリ」といいます。別名カムドノツルギ。

アジスキタカヒコネが去ったとき、その妹のタカヒメ(高比売命=下照比売の別名)が、その兄の弁明のために歌を歌いました。

あめなるや 弟棚機おとたなばたの うながせる たま御統みすまる 御統みすまるに 穴玉あなだまはや みたに 二わたらす 阿遅志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみぞ」

と歌いました。
この歌は夷振(ヒナブリ)です。

ここまでの原文

天照大御神あまてらすおおみかみみこともちて、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくには、御子みこ正勝吾勝勝速日天忍穂耳命まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみことしらさむくに。と言因ことよさしたまひて、天降あまくだしたまひき。

ここ天忍穂耳命あめのおしほみみのみことあめ浮橋うきはしにたたしてりたまはく、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくには、いたくさやぎてありけり。とりたまひて、さらかえのぼらして、天照大御神あまてらすおおみかみもおしたまひき。

高御産巣日神たかみむすびのかみ天照大御神あまてらすおおみかみみこと以て、天安河あめのやすのかわ河原かはら八百万神やおよろずのかみ神集かむつどへにつどへて、思金神おもいかねのかみおもはしめてりたまはく、葦原中国あしはらのなかつくには、御子みこしらさむくに言依ことよさしたまへるくになり。くに道速振ちはやぶる荒振あらぶ国神等くにつかみどもさわなると以為おもほすは、いづれのかみ使つかはしてか言趣ことむけまし、とのりたまひき。

思金神おもいかねのかみ八百万神やおよろずのかみはかりて、天菩比神あめのほひのかみつかはしてむ。とまおしき。天菩比神あめのほひのかみつかはしつれば、やが大国主神おおくにぬしのかみきて、三年みとせいたるまで復奏かえりごとまおさざりき。

ここ高御産巣日神たかみむすびのかみ天照大御神あまてらすおおみかみまたもろもろ神等かみたちひたまはく、葦原中国あしはらのなかつくにつかはせる天菩比神あめのほひのかみひさしく復奏かえりごとまおさず。またいづれのかみ使つかはしてばけむ。ここ思金神おもいかねのかみ答白まおしけらく、天津国玉神あまつくにたまのかみ天若日子あめのわかひこつかはしてむ。とまをしき。ここ天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天之波波矢あめのははや天若日子あめのわかひこたまひてつかはしき。ここ天若日子あめのわかひこくにくだきて、すなわ大国主神おおくにぬしのかみむすめ下照比売したてるひめとし、またくにむとおもいはかりて、八年やとせいたるまで復奏かえりごとまおさざりき。

ここ天照大御神あまてらすおおみかみ高御産巣日神たかみむすびのかみまたもろもろ神等かみたちひたまはく、天若日子あめのわかひこひさしく復奏かえりごとまおさず。またいづれのかみつかはしてか、天若日子あめのわかひこ淹留ひさしくとどまる所由ゆえはしめむ。ととひたまひき。ここもろもろかみ思金神おもいかねのかみ答白まおさく、きぎし鳴女なきめつかはしてむ。とまうす時にりたまはく、いましきて天若日子あめのわかひこはむさまは、『いまし葦原中国あしはらのなかつくに使つかはせる所以ゆえは、くに荒振あらぶ神等かみども言趣ことむやわせとなり。八年やとせいたるまで復奏かえりごとまおさざる。』ととへ。とのりたまひき。

ここ鳴女なきめあめよりくだきて、天若日子あめのわかひこかどなる湯津楓ゆつかつらうえて、委曲まつぶさ天神あまつかみ詔命おおみこと如言ごとのりき。ここ天佐具売あまのさぐめとりいうことをきて、天若日子あめのわかひこに、とりこえ甚悪いとあし。射殺いころしたまひね。とすすむれば、すなわ天若日子あめのわかひこ天神あまつかみたまへる天之波士弓あめのはじゆみ天之加久矢あめのかくやちて、きぎし射殺いころしつ。

ここきぎしむねよりとおりて、さかさまに射上いあげらえて天安河あめのやすのかわ河原かわらします天照大御神あまてらすおおみかみ高木神たかぎのかみ御所みもといたりき。高木神たかぎのかみは、高御産巣日神たかみむすびのかみ別名またのみななり。高木神たかぎのかみらしてそなはすれば、きたりき。

ここ高木神たかぎのかみ天若日子あめのわかひこたまへりしぞかし。とりたまひて、すなわもろもろ神等かみたちせてりたまひけらくは、天若日子あめのわかひこみことたがへず、悪神あらぶるかみたりしつるならば、天若日子あめのわかひこあたらざれ。きたなこころらば、天若日子あめのわかひこにまがれ。とりたまひて、らして、あなよりかえくだしたまへば、天若日子あめのわかひこ胡床あぐらたる高胸坂たかむねさかあたりて、みうせにき。【還矢かえしやおそるべしというもとなり】またきぎしかえらず。いまに、ことわざに「きぎし頓使ひたづかい」と本是もとこれなり。

天若日子あめのわかひこ下照比売したてるひめかせるこえかぜのむたひびきてあめいたりき。ここ天在あめな天若日子あめのわかひこちち天津国玉神あまつくにたまのかみまた妻子めこどもきて、くだり来てかなしみて、すなわ其処そこ喪屋もやつくりて、河鴈かはがり岐佐理持きさりもちとし、さぎ掃持ははきもちとし、翠鳥そに御食人みけびととし、すずめ碓女うすめとし、きぎし哭女なきめとし、如此かくおこなさだめて、日八日ひやか夜八夜よやよあそびたりき。

とき阿遅志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみまして、天若日子あめのわかひことぶらひたまふときに、あめよりくだつる天若日子あめのわかひこちち亦其またそみなきて、なずてりけり。きみなずてしけり。とひて、手足てあしかかりてかなしみき。あやまてる所以ゆえは、二柱ふたはしらかみ容姿かお甚能いとよ相似たり。ここあやまてるなりけり。

ここ阿遅志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみいたいかりてひけらく、うるわしきともなれこそとぶらつれ。なにとかもあれきたな死人しにびとなぞぶる。とひて、御佩みはかせる十掬劍とつかつるぎきて、喪屋もやせ、あしはなりき。

美濃国みぬのくに藍見河あいみがわ河上かわかみなる喪山もやまというやまなり。ちてれる大刀たちは、大量おおばかりふ。また神度劍かむどのつるぎともふ。阿遅志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみは、忿おもほでりてりしときに、伊呂妹いろも高比売命たかひめのみこと御名みなあらわさむとおもひてうたひけらく、

あめなるや 弟棚機おとたなばたの うながせる たま御統みすまる 御統みすまるに 穴玉あなだまはや みたに 二わたらす 阿遅志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみぞ」とうたひき。

うた夷振ひなぶりなり。

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