- 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
- 旧字体・古語は現代語になおします。
- 神様は「柱」という数え方にします。
- 大国主大神には五つの名がありますが、全て「ダイコク様」とします。
第三の使者
アマテラスは言いました。「次は、どの神を派遣したらいい?」。
するとオモイカネと諸神が相談した結果、「天安河の上流の石戸にいる、イツノオハバリ(伊都之尾羽張神)を派遣するべきです。もし、この神が行けないのなら、その子供のタケミカヅチノオ(建御雷之男神)が適任です。しかし…オハバリは天安河を塞き止めて、水を逆流させて道をふさいでいるので、アメノカク(天迦久神)を派遣して、依頼しましょう。」と言いました。
さっそくアメノカク神は、オハバリの許へ行きアマテラスの命を申し伝えると、「誠に光栄なことです。お仕えいたします。しかし、この命には、わたしの子『タケミカズチ神』を派遣するべきです。」と答えました。
そこでタケミカズチが使者として派遣されることになり、万全の為にアメノトリフネ(天鳥船神)を副使として添えて地上に送り出しました。
トリフネとタケミカヅチの二柱は、出雲の稲佐の浜に降り立ちました。そして、タケミカヅチは十拳剣を抜き、逆さまにして海に突き立て、その剣の上にあぐらをかいて、ダイコク様に問いました。
「わたしはアマテラス・タカミムスビの命により、使いに来た。あなたが神領としている葦原中国(日本のこと)は、我らの御子(=アマテラスの子=オシホミミ)が統治するべき国である。これについて、あなたのお考えをお聞かせ願いたい」
「そのことについては、私には返答できません。わたしの子のコトシロヌシ(八重言代主神)がお答するでしょう。しかしながら、コトシロヌシは鳥を狩ったり、魚釣りに、美保の岬に出掛けていて、まだ帰ってきません。」
「ならば…」と、タケミカヅチはトリフネを美保の岬に派遣しました。美保で遊んでいたコトシロヌシを探し出し、出雲に呼び寄せて問うと、父のダイコク様に語って言いました。「かしこまりました。この国は、アマツカミの御子に譲りましょう。」
すると、コトシロヌシはすぐに船を踏んで傾け、天の逆手を打って、船を青柴垣に変えて、そこに篭もりました。
タケミカヅチがさらに問いました。「今、息子のコトシロヌシが賛成したが、他に話を聞くべき子がいますか?」
「私の子にタケミナカタ(建御名方神)がいます。これ以外には意見を言う子はいません」
タケミナカタが千引の石(=千人が引いてやっと動くような大きな岩)を持ちながら「誰が私の国にこっそりと忍び来て、父とひそひそと話をするのか!私を説得したいのならば力比べをしよう!まず私が先に!」
そう言うと、タケミナカタがタケミカヅチの手を取りました。するとタケミカヅチの手がツララになったかと思うと、剣刃となってしまいました。これには、タケミナカタは恐れをなして引き下がってしまいました。
今度は、タケミカヅチがタケミナカタの手を取ると、若い葦を掴むように、握りつぶして放り投げました。タケミナカタは、あまりにの力の差に逃げ去りました。
タケミカヅチは追いかけました。
信濃国の諏訪の湖に追い詰めて、とどめを刺そうとした時です。タケミナカタが「恐れいりました。どうか殺さないでください。私は、この諏訪の土地からは出ません。わたしの父(ダイコク様のこと)の命令に背きません。コトシロヌシの言葉に背きません。この葦原中国(日本のこと)は、天つ神の御子に命ずるままに献上いたしましょう。」
出雲大社の創建
タケミナカタを負かしたタケミカヅチが、諏訪から出雲に帰ってきて「あなたの子達である、コトシロヌシ・タケミナカタの二柱の神は、天つ神の御子の命に従うと宣誓した。さぁ、あなたのお考えをお聞かせ願いたい。」
「わたしの子達の二柱の神が言ったとおりに、わたしは背きません。この葦原中国は天つ神の命ずるままに献上しましょう。ただし、わたしの住居として、天つ神の御子の神殿のように、地に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建てるならば、わたしは遠い幽界に隠れましょう。わたしの子である大勢の神は、コトシロヌシが前に立てば、背くことはないでしょう。」
ダイコク様の言うとおりに、出雲のタギシの浜に立派な神殿を神々が建てました。
そして、ミナト神(水戸神)の孫のクシヤタマ神(櫛八玉神)が料理人となり、ご馳走を献上します。そして、クシヤタマ神は鵜となって、海底にもぐり、粘土を咥えて出て、それで美しい皿を作りました。また、海草の茎を刈って火を切り出すための台を作り、コモの茎を刈って火を切る杵を作り、火を起こして、言いました。「わたしが起こした火よ!高天原では、カミムスビミの神殿のススが固まって、垂れ下がるまで焼きましょう!底津石根(=地下の石)に届くまで、焚きましょう。長い縄で海人が釣った口の大きな立派なスズキを釣り上げて、載せる台がたわむくらいに沢山盛って、魚料理を献上しましょう!」と、言いました。
タケミカヅチは、安心して高天原に上り、葦原中国を平定した経緯を報告しました。
ここまでの原文
是に天照大御神、詔りたまはく、亦曷れの神を遣はさば吉けむ。爾に思金神及諸の神白しけらく、天安河の河上の天石屋に坐す、名は伊都之尾羽張神、是れ遣はすべし。若し亦此の神にならずば、其の神の子、建御雷之男神、此れ遣はすべし。且其の天尾羽張神は、天安河の水を逆さまに塞き上げて、道を塞きて居れば、他神は得行かじ。故れ別に天迦久神を遣はして問ふべし。とまをしき。
故れ爾に天迦久神を使はして、天尾羽張神に問ふ時に、恐し。仕へ奉らむ。然れども、此の道には、僕が子、建御雷神を遣はすべし。と答白して、乃ち貢進りき。爾れ天鳥船神を建御雷神に副へて遣はしき。
是を以て、此の二神、出雲国の伊那佐之小濱に降り到きて、十掬剣を抜きて、浪の穂に逆さまに刺し立てて、其の剣の前に跌み坐て、其の大国主神に問ひたまはく、天照大御神、高木神の命以て、問ひに使はせり。汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知さむ国と言依さし賜へり。故れ汝が心は奈何にぞ。ととひたまふときに、爾ち答白へまつらく、僕は得白さじ。我が子、八重言代主神、是れ白すべきを、鳥遊、魚取為に、御大之前に往きて、未だ還り来ず。とまをしき。
故れ爾に天鳥船神を遣はして、八重言代主神を徴し来て、問ひ賜ふ時に、其の父の大神に、恐し。此の国は、天神の御子に立奉りたまへ。と言ひて、即ち其の船を蹈み傾けて、天逆手を青柴垣に打ち成して隠りましき。
故れ爾に其の大国主神に問ひたまはく、今汝が子、事代主神、如此白しぬ。亦白すべき子有りや。ととひたまひき。是に亦白しつらく、亦我が子、建御名方神あり。此れを除きては無し。とまをしき。
此く白したまふ間しも其の建御名方神、千引石を手末にささげて来て、誰ぞ我が国に来て、忍び忍びに如此物言ふ。然からば力競らべ為む。故れ我先に其の御手を取らむ。と言ふ。
故れ其の御手を取らしむれば、即ち立氷に取り成し、亦剣刃に取り成しつ。故れ懼れて退き居り。爾に其の建御名方神の手を取らむと、乞ひ帰して取れば、若葦を取るが如、つかみ批ぎて投げ離ちたまへば、即ち逃げ去にき。
故れ追ひ往きて、科野国の州羽海に迫め到りて、殺さむとしたまひし時に、建御名方神白しけらく、恐し。我をな殺したまひそ。此の地を除きては他処に行かじ。亦我が父、大国主神の命に違はじ。八重事代主神の言に違はじ。此の葦原中国は天神の御子の命の隨に献らむ。とまをしたまいき。
故れ更に且還り来て、其の大国主神に問ひたまはく、汝が子等、事代主神、建御名方神の二神は、天神の御子の命の隨に違はじと白しぬ。故れ汝が心は奈何にぞ。と問ひたまひき。
爾に答白へまつらく、僕が子等、二神の白せる隨に僕も違はじ。此の葦原中国は、命の隨に既に献らむ。唯、僕が住所をば、天神の御子の天津日継知しめさむ、登陀流天之御巣如して、底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治め賜はば、僕は百不足八十坰手に隠りて侍ひなむ。亦僕が子等、百八十神は、即ち八重事代主神、神の御尾前と為りて仕へ奉らば、違ふ神は非じ。此く白して、【乃ち隠りましき。故れ白したまひし隨に】出雲国の多芸志之小濱に天之御舎を造りて、水戸神の孫、櫛八玉神を膳夫と為て、天御饗を献りし時に、祷き白して、櫛八玉神、鵜に化りて、海の底に入りて、底の波邇を咋ひ出でて、天八十毘良迦を作りて、海布の柄を鎌りて燧臼に作り、海蓴の柄を燧杵に作りて、火を鑽り出でて云しけらく、是の我が燧れる火は、高天原には神産巣日御祖神の登陀流天之新巣の凝烟の、八拳垂るまで焼き挙げ、地の下は底津石根に焼き凝して、栲縄之千尋縄打ち延へ、釣らせる海女が、大口之尾翼鱸さわさわに控き依せ騰げて、打竹のとをとをに天之真魚咋、献らむとまをしき。
故れ建御雷神、返り参上りて、葦原中国を言向け和平しぬる状を復奏したまひき。
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