- 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
- 旧字体・古語は現代語になおします。
- 神様は「柱」という数え方にします。
高千穂に降臨
ようやく国譲りが整ったので、天つ神達はニニギ命に降臨するよう命じました。
ニニギ命は、高天原での地位を離れました。そして、幾重にもたなびく雲をもの凄い力で押し分けて、行く道を掻き分け、高天原の天浮橋から浮島に降り立ち、筑紫の日向の高千穂の降臨しました。
高千穂の降り立つと、アメノオシヒ命(天忍日命)とアマツクメ命(天津久米命)の二人が控えていました。二人は、きらびやかに輝く強力な弓矢と柄の大きな太刀を身につけ、ニニギ命の前に立って仕えることを誓いました。
このアメノオシヒ命は、大伴連などの祖神。
アマツクメ命は久米直の祖神。
ニニギ命は、土地をみて言いました。
「この土地は。日本は、韓国(=朝鮮半島)に対峙していて、笠沙の御崎にまっすぐに通り、朝日がしっかりと注ぐ国で、夕日が照らす国だ。ここはとても良い土地だ」
そして、地面深くに太い柱を立て、空にそびえるほどに壮大な宮殿を建てて住みました。
ニニギ命が、ウズメ(天宇受売命)に言いました。
「降臨に際して、私の先導を見事に仕えてくれたサルタヒコ大神(猿田毘古大神)のことは、あなたが丁寧にお送りしなさい。ウズメよ。驚くような登場をしてきたサルタヒコに対して、臆することなく名前と正体を尋ね、正体を明かしたあなたが適任だ。
また、その神の名(サルタヒコのこと)を名乗って仕えなさい。」
それでアメノウズメ命の子孫は、猿女君と名乗ることになりました。
ウズメ命と帰路についたサルタヒコは、アザカ(地名)にいるときに漁をしていました。するとタイラ貝に手を食われて挟まれ、海に引きずられて、沈んで溺れてしまいました。
海の底にいたときの名は、ソコドクミタマ(底度久御魂)。
海の水が泡になったときの名は、ツブタツミタマ(都夫多都時)。
その泡がはじけるときの名は、アワサクミタマ(阿和佐久御魂)といいます。
ウズメ命は、ハプニングに見舞われつつも何とか無事にサルタヒコを送り届けることができました。ウズメ命は帰ってくると、すぐに海にいる大小様々な魚たちを集めて、「お前たちは、天つ神の御子(=ニニギ命)に仕えるか?」と問いました。
するとほとんどの魚が「仕えます。」と答える中、ナマコだけが答えませんでした。ウズメ命はイラ立ち、ナマコに言いました。「この口が答えぬ口か!」と、小刀でナマコの口を裂きました。
それで今でもナマコの口は避けています。
また、この出来事により志摩国の初物の魚介類が宮廷に献上されるときは、猿女君に賜ります。
コノハナサクヤヒメとの神婚
ニニギ命は、笠沙の御崎で美しい女性に会いました。
ニニギ命は「あなたは誰の娘ですか?」と尋ねると、その美し女性は答えました。
「私は、オオヤマヅミ(大山津見神)の娘のカムアタツヒメ(神阿多都比売)です。またの名をコノハナサクヤヒメ(木花佐久夜毘売)といいます。」
また、ニニギ命は「あなたに姉妹はいますか?」と尋ねると
「わたしには姉がおりまして、名をイワナガヒメ(石長比売)と申します。」と答えました。
「わたしは、あなたと結婚したいと思うが、返事を聞かせてくれないか。」
するとサクヤヒメは「わたしは答えられません。わたしの父がご返事をいたします。」
さっそくニニギ命は、そのオオヤマヅミの元へ使者を遣わして、婚姻の旨を伝えました。この話にオオヤマヅミはとても喜び、サクヤヒメに姉のイワナガヒメを添え、机いっぱいの沢山の結納品を持たせて送り出しました。
しかし、姉のイワナガヒメはニニギの好みに合わず、その姿を一目見ただけでオオヤマヅミの所に送り返してしまいました。
そして、美しいサクヤヒメだけを残して、一晩中、愛を結びました。
オオヤマヅミは、ニニギ命がイワナガヒメを返したので、とても恥に思い、返事を送り言いました。
「わたしが娘二人を並べて送ったのには、理由がございました。そのわけは、イワナガヒメがお側で仕えれば、天つ神の皇子(=ニニギ命)の命は、雪が降り風に吹かれても、岩のように永遠に固く、動かず、変わらないものになるでしょう。コノハナサクヤヒメがお側で仕えれば、木の花が咲くように繁栄するでしょう――
そう誓約をしたのです。
しかし、このようにイワナガヒメを送り返し、コノハナサクヤヒメを留めたことで天つ神の皇子の寿命は、木の花のように儚いものとなるでしょう」と言いました。
これ以降、天皇の寿命は長くなりません。
愛の一夜を過ごし、しばらくした後にサクヤヒメはニニギ命の所に来て言いました。
「妻である私は妊娠し、もう出産する時期になったので伺いに来ました。この子は、天つ神の御子ですから、個人的に産んでよいものではありません。だから報告に来ました」
するとニニギ命は「サクヤヒメよ。一晩の契りで妊娠したというのですか????
それは私の子では無いだろう。国つ神の子ではないか。」
この心無い言葉にサクヤヒメが答えました。
「わたしが妊娠した子が、もし国つ神の子供ならば、無事に生まれないでしょう。もし天つ神の皇子ならば、無事に生まれるでしょう」と言うと、すぐに窓のない産屋を建てて、その中に入り、入り口を土で塗り塞ぎました。
いざ出産のときなると、その宮殿に火をつけて産みました。
火が燃え盛るときに産んだ子が
ホデリ命(火照命)。
ホデリ命は、隼人阿多君の祖神です。
次に産んだ子が
ホスセリ命(火須勢理命)。
次に産んだ子の名前は
ホオリ命(火遠理命)。
別名はアマツヒコヒコホホデミ命(天津日高日子穂穂手見命)。
ここまでの原文
故れ爾に天津日子番能邇邇芸命、天之石位を離れ、天之八重多那雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天浮橋にうきじまりそりたたして、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐しき。
故れ爾に天忍日命、天津久米命の二人、天之石靫を取り負ひ、頭椎之大刀を取り佩き、天之波士弓を取り持ち、天之真鹿児矢を手挟み、御前に立たして仕へ奉りき。
故れ其の天忍日命、此は大伴連等の祖。天津久米命は久米直等の祖なり。
是に詔りたまはく、此地は韓国に向ひ、笠沙之御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故れ此地は甚吉き地。と詔りたまひて、底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて坐しましき。
故れ爾に天宇受売命に詔りたまはく、此の御前に立ちて仕へ奉れりし猿田毘古大神をば、専ら顕し申せる汝、送り奉れ。亦其の神の御名は、汝負ひて仕へ奉れ。とのりたまひき。是を以て猿女君等、其の猿田毘古神の名を負ひて、男女を猿女君と呼ぶ事、是れなり。
故れ其の猿田毘古神、阿邪訶に坐しける時に、漁為て、比良夫貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈溺れたまひき。故れ其の底に沈み居たまひし時の名を底度久御魂と謂し、其の海水のつぶたつ時の名を、都夫多都御魂と謂し、其のあわさく時の名を阿和佐久御魂と謂す。
是に猿田毘古神を送りて、還り到りて、乃ち悉に鰭の広物、鰭の狭物を追ひ聚めて、汝は天神の御子に仕へ奉らむや。と問言ふ時に、諸の魚ども皆、仕へ奉らむ。と白す中に、海鼠白さず。
爾れ天宇受売命、海鼠に謂ひけらく、此の口や答へぬ口。と云ひて、紐小刀以て其の口を拆きき。故れ今に海鼠の口拆けたり。是を以て御世御世、島之速贄献る時に、猿女君等に給ふなり。
是に天津日高日子番能邇邇芸命、笠沙の御前に、麗き美人に遇へるに、爾に、誰が女ぞ。と問ひたまへば、答へ白しけらく、大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花佐久夜毘売。と謂したまひき。
又、汝の兄弟有りや。と問ひたまへば、我が姉、石長比売在り。と答白したまひき。
爾れ詔りたまはく、吾汝に目合せむと欲ふは奈何に。とのりたまへば、僕は得白さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ。と答白したまひき。故れ其の父大山津見神に、乞ひに遣しける時に、大く歓喜びて、其の姉石長比売を副へて、百取の机代之物を持たしめて奉出しき。
故れ爾に其の姉は甚凶醜きに因りて、見畏みて、返し送りたまひて、唯其の弟木花佐久夜毘売をのみ留めて、一宿婚為たまひき。
爾に大山津見神、石長比売を返したまへるに因りて、大く恥ぢて白し送りたまひける言は、我が女二り並べて立奉れる由は、石長比売を使はしてば、天神の御子の命は、雪零り風吹けども、恒なること石の如く、常堅に不動に坐しませ。亦木花佐久夜毘売を使はしてば、木の花の栄ゆるが如、栄え坐せと宇気比て貢進りき。此るに今石長比売を返して、木花佐久夜毘売独留めたまひつれば、天神の御子の御寿は木の花のあまひのみ坐しまさむとす。ともをしたまひき。故れ是を以て今に至るまで、天皇命等の御命長くまさざるなり。
故れ後に木花佐久夜毘売、参出て白したまはく、妻は妊身るを、今産むべき時に臨りぬ。是の天神の御子、私に産みまつるべきにあらず、故れ請す。とまをしたまひき。爾に詔りたまはく、木花佐久夜毘売、一宿にや妊める。是は我が子に非ず。必ず国神の子にこそあらめ。とのりたまへば、爾ち、吾が妊める子、若し国神の子ならば、産むこと幸からじ。若し天神の御子まさば、幸からむ。と答白して、即ち戸無き八尋殿を作りて、其の殿内に入りまして、土以て塗り塞ぎて、産ます時に方りて、其の殿に火を著けてなも産ましける。
故れ其の火の盛りに燃る時に生れませる子の名は、火照命。此は隼人阿多君の祖。
次に生れませる子の名は、火須勢理命。
次に生れませる子の名は、火遠理命。亦の名は天津日高日子穂穂手見命。【三柱】
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