古事記 上巻15

古事記
  • 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
  • 旧字体・古語は現代語になおします。
  • 神様は「柱」という数え方にします。

高千穂に降臨

ようやく国譲りが整ったので、天つ神達はニニギ命に降臨するよう命じました。

ニニギ命は、高天原での地位を離れました。そして、幾重にもたなびく雲をもの凄い力で押し分けて、行く道を掻き分け、高天原の天浮橋から浮島に降り立ち、筑紫の日向の高千穂の降臨しました。

高千穂の降り立つと、アメノオシヒ命(天忍日命)とアマツクメ命(天津久米命)の二人が控えていました。二人は、きらびやかに輝く強力な弓矢と柄の大きな太刀を身につけ、ニニギ命の前に立って仕えることを誓いました。

このアメノオシヒ命は、大伴連などの祖神。
アマツクメ命は久米直の祖神。

ニニギ命は、土地をみて言いました。

「この土地は。日本は、韓国(=朝鮮半島)に対峙していて、笠沙かささの御崎にまっすぐに通り、朝日がしっかりと注ぐ国で、夕日が照らす国だ。ここはとても良い土地だ」

そして、地面深くに太い柱を立て、空にそびえるほどに壮大な宮殿を建てて住みました。

ニニギ命が、ウズメ(天宇受売命)に言いました。

「降臨に際して、私の先導を見事に仕えてくれたサルタヒコ大神(猿田毘古大神)のことは、あなたが丁寧にお送りしなさい。ウズメよ。驚くような登場をしてきたサルタヒコに対して、臆することなく名前と正体を尋ね、正体を明かしたあなたが適任だ。
また、その神の名(サルタヒコのこと)を名乗って仕えなさい。」

それでアメノウズメ命の子孫は、猿女君さるめのきみと名乗ることになりました。

ウズメ命と帰路についたサルタヒコは、アザカ(地名)にいるときに漁をしていました。するとタイラ貝に手を食われて挟まれ、海に引きずられて、沈んで溺れてしまいました。

海の底にいたときの名は、ソコドクミタマ(底度久御魂)。
海の水が泡になったときの名は、ツブタツミタマ(都夫多都時)。
その泡がはじけるときの名は、アワサクミタマ(阿和佐久御魂)といいます。

ウズメ命は、ハプニングに見舞われつつも何とか無事にサルタヒコを送り届けることができました。ウズメ命は帰ってくると、すぐに海にいる大小様々な魚たちを集めて、「お前たちは、天つ神の御子(=ニニギ命)に仕えるか?」と問いました。
するとほとんどの魚が「仕えます。」と答える中、ナマコだけが答えませんでした。ウズメ命はイラ立ち、ナマコに言いました。「この口が答えぬ口か!」と、小刀でナマコの口を裂きました。
それで今でもナマコの口は避けています。
また、この出来事により志摩国の初物の魚介類が宮廷に献上されるときは、猿女君に賜ります。

コノハナサクヤヒメとの神婚

ニニギ命は、笠沙かささの御崎で美しい女性に会いました。
ニニギ命は「あなたは誰の娘ですか?」と尋ねると、その美し女性は答えました。
「私は、オオヤマヅミ(大山津見神)の娘のカムアタツヒメ(神阿多都比売)です。またの名をコノハナサクヤヒメ(木花佐久夜毘売)といいます。」
また、ニニギ命は「あなたに姉妹はいますか?」と尋ねると
「わたしには姉がおりまして、名をイワナガヒメ(石長比売)と申します。」と答えました。

「わたしは、あなたと結婚したいと思うが、返事を聞かせてくれないか。」
するとサクヤヒメは「わたしは答えられません。わたしの父がご返事をいたします。」

さっそくニニギ命は、そのオオヤマヅミの元へ使者を遣わして、婚姻の旨を伝えました。この話にオオヤマヅミはとても喜び、サクヤヒメに姉のイワナガヒメを添え、机いっぱいの沢山の結納品を持たせて送り出しました。

しかし、姉のイワナガヒメはニニギの好みに合わず、その姿を一目見ただけでオオヤマヅミの所に送り返してしまいました。

そして、美しいサクヤヒメだけを残して、一晩中、愛を結びました。

オオヤマヅミは、ニニギ命がイワナガヒメを返したので、とても恥に思い、返事を送り言いました。

「わたしが娘二人を並べて送ったのには、理由がございました。そのわけは、イワナガヒメがお側で仕えれば、天つ神の皇子(=ニニギ命)の命は、雪が降り風に吹かれても、岩のように永遠に固く、動かず、変わらないものになるでしょう。コノハナサクヤヒメがお側で仕えれば、木の花が咲くように繁栄するでしょう――

そう誓約うけいをしたのです。

しかし、このようにイワナガヒメを送り返し、コノハナサクヤヒメを留めたことで天つ神の皇子の寿命は、木の花のように儚いものとなるでしょう」と言いました。

これ以降、天皇の寿命は長くなりません。

愛の一夜を過ごし、しばらくした後にサクヤヒメはニニギ命の所に来て言いました。

「妻である私は妊娠し、もう出産する時期になったので伺いに来ました。この子は、天つ神の御子ですから、個人的に産んでよいものではありません。だから報告に来ました」

するとニニギ命は「サクヤヒメよ。一晩の契りで妊娠したというのですか????
それは私の子では無いだろう。国つ神の子ではないか。」

この心無い言葉にサクヤヒメが答えました。

「わたしが妊娠した子が、もし国つ神の子供ならば、無事に生まれないでしょう。もし天つ神の皇子ならば、無事に生まれるでしょう」と言うと、すぐに窓のない産屋を建てて、その中に入り、入り口を土で塗り塞ぎました。

いざ出産のときなると、その宮殿に火をつけて産みました。

火が燃え盛るときに産んだ子が
ホデリ命(火照命)。
ホデリ命は、隼人阿多君はやびとあたのきみ祖神です。

次に産んだ子が
ホスセリ命(火須勢理命)。

次に産んだ子の名前は
ホオリ命(火遠理命)。
別名はアマツヒコヒコホホデミ命(天津日高日子穂穂手見命)。

ここまでの原文

ここ天津日子番能邇邇芸命あまつひこほのににぎのみこと天之石位あめのいわくらはなれ、天之八重多那雲あめのやえたなぐもけて、いつのちわきちわきて、天浮橋あめのうきはしにうきじまりそりたたして、竺紫つくし日向ひむか高千穂たかちほ久士布流多気くしふるたけ天降あもしき。

ここ天忍日命あめのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみこと二人ふたり天之石靫あめのいはゆぎひ、頭椎之大刀くぶつちのたちき、天之波士弓あめのはじゆみち、天之真鹿児矢あめのまかごや手挟たばさみ、御前みさきたしてつかまつりき。

天忍日命あめのおしひのみこと大伴連等おおとものむらじらおや天津久米命あまつくめのみこと久米直等くめのあたいらおやなり。

ここりたまはく、此地ここ韓国からくにむかひ、笠沙之御前かささのみさき真来通まぎとおりて、朝日あさひ直刺たださくに夕日ゆうひ日照ひでくになり。此地ここ甚吉いとよところ。とりたまひて、底津石根そこついわね宮柱みやばしらふとしり、高天原たかまのはら氷椽ひぎたかしりてしましき。

ここ天宇受売命あめのうずめのみことりたまはく、御前みさきちてつかまつれりし猿田毘古大神さるたびこのおおかみをば、もはあわはもをせるいましおくまつれ。またかみ御名みなは、いましひてつかまつれ。とのりたまひき。ここもち猿女君さるめのきみ猿田毘古神さるたびこのかみみなひて、男女おとこおみな猿女君さるめのきみぶ事、れなり。

猿田毘古神さるたびこのかみ阿邪訶あざかしけるときに、漁為すなどりして、比良夫貝ひらぶがいあはさえて、海塩うしほ沈溺おぼれたまひき。そこしづたまひしときみな底度久御魂そこどくみたままをし、海水うしほのつぶたつときみなを、都夫多都御魂つぶたつみたままをし、のあわさくときみな阿和佐久御魂あわさくみたままをす。

ここ猿田毘古神さるたびこのかみおくりて、かえいたりて、すなわことごとはた広物ひろものはた狭物さものあつめて、いまし天神あまつかみ御子みこつかまつらむや。と問言ときに、もろもろうおどもみなつかまつらむ。とまをなかに、海鼠まをさず。

天宇受売命あめのうずめのみこと海鼠ひけらく、くちこたへぬくち。とひて、紐小刀ひもがたなもちくちきき。いま海鼠くちけたり。これもち御世御世みよみよ島之速贄しまのはやにえたてまつときに、猿女君さるめのきみたまふなり。

ここ天津日高日子番能邇邇芸命あまつひこひこほのににぎのみこと笠沙かささ御前みさきに、かほよ美人おとめへるに、すなわに、むすめぞ。とひたまへば、こたまをしけらく、大山津見神おおやまつみのかみむすめ神阿多都比売かむあたつひめまた木花佐久夜毘売このはなさくやびめ。とまをしたまひき。

またいまし兄弟はらからりや。とひたまへば、あね石長比売いわながひめり。と答白まをしたまひき。

りたまはく、あれいまし目合まぐはひせむとおもふは奈何いかに。とのりたまへば、得白えまをさじ。ちち大山津見神おおやまつみのかみまをさむ。と答白まをしたまひき。の父大山津見神おおやまつみのかみに、ひにつかはしける時に、いた歓喜よろこびて、の姉石長比売いわながひめへて、百取ももとり机代之物つくえしろのものを持たしめて奉出たてまだしき。

ここあねいと凶醜みにくきにりて、見畏みかしこみて、かえおくりたまひて、ただおと木花佐久夜毘売このはなさくやびめをのみとどめて、一宿ひとよ婚為みあひしたまひき。

ここ大山津見神おおやまつみのかみ石長比売いわながひめかえしたまへるにりて、いたぢてまをおくりたまひけることは、むすめふたならべて立奉たてまつれるゆえは、石長比売いわながひめ使つかはしてば、天神あまつかみ御子みこみいのちは、雪零あめふ風吹かぜふけども、とこしへなることいわごとく、常堅ときわ不動かきわしませ。また木花佐久夜毘売このはなさくやびめ使つかはしてば、はなさかゆるがごとさかせと宇気比うけい貢進たてまつりき。かかるに今石長比売いわながひめかえして、木花佐久夜毘売このはなさくやびめ独留ひとりとどめたまひつれば、天神あまつかみ御子みこ御寿みいのちはなのあまひのみしまさむとす。ともをしたまひき。ここもちて今にいたるまで、天皇命等すめらみことたち御命みいのちながくまさざるなり。

のち木花佐久夜毘売このはなさくやびめ参出まいでまをしたまはく、あれ妊身はらめるを、いまこうむべきときりぬ。天神あまつかみ御子みこわたくしみまつるべきにあらず、まをす。とまをしたまひき。ここりたまはく、木花佐久夜毘売このはなさくやびめ一宿ひとよにやはらめる。みこあらず。かなら国神くにつかみにこそあらめ。とのりたまへば、すなわち、はらめるみこ国神くにつかみならば、むことさちからじ。天神あまつかみ御子みこまさば、さちからむ。と答白まをして、すなわ戸無とな八尋殿やひろどのつくりて、殿内とぬちりまして、はにもちふさぎて、ますときあたりて、殿とのけてなもましける。

まさかりにもゆときれませるみこみなは、火照命ほでりのみこと隼人阿多君はやびとあたのきみおや

つぎれませるみこみなは、火須勢理命ほすせりのみこと

つぎれませるみこみなは、火遠理命ほおりのみことまた天津日高日子穂穂手見命あまつひこひこほほでみのみこと。【三柱みはしら

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