古事記 上巻3

古事記
  • 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
  • 旧字体・古語は現代語になおします。
  • 神様は「柱」という数え方にします。

イザナミの埋葬

火の神である子を生んだことによりイザナミは、苦しみながら絶命してしましました。

イザナギは「愛する妻よ!子供とひきかえに命を落とすなんて、なんてことだ!」と、悲痛な思いを叫び嘆きました。

そして、愛しい妻が横たわるイザナミの枕元に腹ばいになり、足元に這いまわりながら涙の限り泣きました。その涙からナキサワメノ神(泣沢女神)が生まれました。
この女神は香具山かぐやまの麓の木の下にいます。

その後、イザナミの遺体は、出雲国と伯耆国の境にある比婆山ひばやまに埋葬されました。

イザナギの逆上

泣きくれるイザナギは、腰に挿していた大剣を抜いて、激情に任せるがままに生まれたばかりの子供のカグツチに切りかかり、首を落としてました。

すると、その剣についた血が湯津石村を走って生まれた神がイワサクノ神(石拆神)。

次にネサクノ神(根拆神)が生まれました。

次にイワツツノオノ神(石筒之男神)が生まれました。

次に剣のツバから血がほとばしって、湯津石村を走って生まれた神がミカハヤヒノ神(甕速日神)。

次にヒハヤヒノ神(樋速日神)が生まれました。

次にタケミカヅチノオノ神(建御雷之男神)が生まれました。別名をタケフツノ神(建布都神)、またの名をトヨフツノ神(豊布都神)といいます。

次に剣の柄に溜まった血が、指の間から流れ落ちて生まれた神がクラオカミノ神(闇淤加美神)。

次にクラミツハノ神(闇御津羽神)が生まれました。

ここまでイワサクノ神(石拆神)からクラミツハノ神(闇御津羽神)の八神は剣から生まれた神です。

カグツチの体から生まれた神

殺されたカグツチの頭から生まれた神は、マサカヤマツミノ神(正鹿山津見神)。
次に胸から生まれた神は、オドヤマツミノ神(淤縢山津見神)。
次に腹から生まれた神は、オクヤマツミノ神(奥山津見神)。
次に陰部から産まれた神は、クラヤマツミノ神(闇山津見神)。
次に左手から産まれた神は、シギヤマツミノ神(志芸山津見神)。
次に右手から産まれた神は、ハヤマツミノ神(羽山津見神)。
次に左足から生まれた神は、ハラヤマツミノ神(原山津見神)。
次に右足から産まれた神は、トヤマツミノ神(戸山津見神)。

(併せて八神が生まれた)

イザナギが斬った刀の名前はアメノオハバリ(天之尾羽張)といいます。
別名はイツノオハバリ(伊都之尾羽張)という。

イザナギ、イザナミに会いたくて黄泉の国へ行く

最愛の妻を亡くしたイザナギは、悲痛の思いで明け暮れていました。日毎に死んでしまったイザナミに会いたい気持ちが募り、 ついにイザナギは黄泉の国へとイザナミのあとを追って行きました。

一方、イザナギの突然の訪問に驚いたイザナミは、黄泉の国の入口まで出迎えました。

愛する妻の顔を見たイザナギは「イザナミ! 迎えに来たよ、一緒に帰ろう。まだ国つくりも途中だから。さあ帰ろう!」と言いました。

すると「あぁ…。もっと早く迎えに来てくれれば、よかったのに。もう黄泉の国のものを食べてしまい、黄泉の住人となったの。だから、現世には帰れないわ。でも、せっかくこうして迎えに来てくれたんですから、黄泉の国の王に相談してみます。その間、絶対にのぞいたりしないで下さいね」と答えました。

こう言い残すと、イザナミは黄泉の国の王の所へと帰った。

イザナギは、言われるがままに待っていた。

ところがいつまで待ってもイザナミが帰ってこない。早く連れて帰りたいイザナギは、すっかり焦れて、髪に挿していた櫛を抜き、その櫛の太い部分を一本折り取って、火をともした。薄明りを頼りに内部に入って見たものは、腐り果てたイザナミの姿だったのです。

イザナミの全身には蛆がたかり、頭にはオオイカヅチ(大雷)がいました。
胸にはホノイカヅチ(火雷)がいました。
腹にはクロイカヅチ(黒雷)がいました。
女性器にはサクイカヅチ(拆雷)がいました。
左手にはワカイカヅチ(若雷)がいました。
右手にはツチイカヅチ(土雷)がいました。
左足にはナルイカヅチ(鳴雷)がいました。
右足にはフシイカヅチ(伏雷)がいました。

合わせて八柱の雷神が居ついていました。

イザナミ、怒る

こがれるほど会いたかった妻は、美しさの面影もなく腐り果て、身の回りには雷神が付きまとい、何ともおぞましい姿になっていました。

イザナギはあまりの事に驚き、逃げるように帰りました。背中からは、地を這うような声を聞きます。

「あれほど見るなといったのに!よくも私に恥をかかせましたね!」

イザナミは、すぐにヨモツシコメ(黄泉の国の強い女)を呼び集め、イザナギを追わせました。

イザナギは、追いかけてくシコメ達をどうにかしなければと、髪につけていた黒いカズラを取って投げると、すぐに山ブドウに成りました。この山ブドウの実を、シコメ達が食べている間にイザナギは逃げ延びました。

しかし、更に別動隊のシコメ達が追ってきたので、今度は右のミズラに挿していた櫛の歯を折って投げると、タケノコが生えてきました。それをシコメ達が食べている間に、イザナギは何とか逃げ延びました。

安心したのもつかの間、イザナミは体に居付いていた雷神に、1500人の軍勢を従わせて追わせました。

イザナギは、後ろ手に剣を振りつつ逃げましたが、追手がゆるむことがありません。

黄泉比良坂よもつひらさかにまでたどり着いた時、桃の実を3つ投げると、雷神の軍は退散しました。

イザナギは、その桃に感謝を述べ「お前は私を助けてくれたように、民が苦しいときには助けてくれ」と言い、オオカムズミノ命という名前を与えました。

最後には、とうとうイザナミ自身が追ってきました。

決別と人の生死

そこで、イザナギは大きな岩を黄泉比良坂よもつひらさかまで引っ張ってきて、境界である坂の口を塞ぎました。

その岩をはさんで、イザナミとイザナギは最後の別れを告げます。

「愛しいイザナギよ。こんなことをするのならば、あなたの国の民を毎日1000人ずつ締め殺します」と言いました。

するとイザナギは「我が妻のイザナミ。あなたがそうするならば、一日に1500の産屋を立てましょう」と答えました。
これから毎日1000人が死に、1500人が生まれるようになりました。

そして、イザナミのことをヨモツ大神(黄泉津大神)というようになりました。
また、イザナギに追いついたことからチシキノ大神(道敷大神)とも呼ばれるようになりました。

黄泉の坂をふさいだ岩は、チガエシノ大神(道反之大神)と名づけました。もしくはヨミドノ大神(黄泉戸大神)ともいいます。

黄泉比良坂は、出雲の伊賦夜坂いふやさかという場所です。

ここまでの原文

ここ伊邪那岐命いざなぎのみことりたまわく、うつくしき那邇妹なにもみことや、一木ひとつけえつるかも、とりたまいて、御枕方みまくらべ匍匐はらばい、御足方みあとべ匍匐はらばいて、きたまいときに、御涙みなみだりませるかみは、香山かぐやま畝尾うねお木本このもとみな泣澤女神なきさはめのかみ神避かむさりましし伊邪那美神いざなみのかみは、出雲国いずものくに伯伎国ははきのくにとのさかい比婆之山ひばのやまかくしまつりき。

ここ伊邪那岐命いざなぎのみこと御佩みはかせる十拳劒とつかつるぎきて、みこ迦具土神かぐつちのかみみくびりたまう。ここ御刀みはかしさきける湯津石村ゆついわむらたばしきてりませるかみみなは、石拆神いわさくのかみつぎ根拆神ねさくのかみつぎ石筒之男神いわつつのおかみ。【三神みはしらつぎ御刀みはかしもとけるも、湯津石村ゆついわむらたばしきてりませるかみみなは、甕速日神みかはやひのかみつぎ樋速日神ひはやひのかみつぎ建御雷之男神たけみかづちのおのかみ亦名またのみな建布都神たけふつのかみ亦名またのみな豊布都神とよふつのかみ。【三神みはしらつぎ御刀みはかし手上たがみあつまれる手俣たなまたよりでてりませるかみみなは、闇淤加美神くらおかみのかみつぎ闇御津羽神くらみつはのかみ

かみくだり石拆神いわさくのかみより以下しま闇御津羽神くらみつはのかみ以前まであわせて八神やはしらは、御刀みはかしりてりまるかみなり。

ころさえましし迦具土神かぐつちのかみみかしらりませるかみみなは、正鹿山津見神まさかやまつみのかみつぎみむねりませるかみみなは、淤縢山津見神おどやまつみのかみつぎみはらりませるかみみなは、奥山津見神おくやまつみのかみつぎみほとりませるかみみなは、闇山津見神くらやまつみのかみつぎひだりみてりませるかみみなは、志芸山津見神しぎやまつみのかみつぎみぎりみてりませるかみみなは、羽山津見神はやまつみのかみつぎひだりみあしりませるかみみなは、原山津見神はらやまつみのかみつぎみぎりみあしりませるかみみなは、戸山津見神とやまつみのかみ。【正鹿山津見神まさかやまつみのかみより戸山津見神とやまつみのかみまで、あわせて八神やはしら

りたまえるみはかしは、天之尾羽張あめのおはばりと謂う。亦名またのな伊都之尾羽張いつのおはばりう。

ここいも伊邪那美命いざなみのみこと相見あいみまくおもほして、黄泉国よもつくにでましき。すなわ殿との縢戸あげどよりむかえしときに、伊邪那岐命いざなぎのみこと語詔かたらいたまわく、うつくしき那邇妹なにものみことあれいましつくれりしくにいまつくえずあれば、かえりまさね、とのりたまひき。ここに伊邪那美命いざなみのみこと答白もうしたまわく、くやしきかもまさずて、黄泉戸喫よもつへぐいしつ。しかれども、うつくしき那勢なせのみことせることかしこければ、かえりなむを、しばら黄泉神よもつかみ相論あげつらわむ。をなたまいそ。

如此かくもうして殿内とのうちかえりせるほど甚久いとひさしくてねたまいき。ひだり御美豆良みみづらさせる、湯津津間櫛ゆつつまぐし男柱おばしら一箇ひとつきて、一火ひとつびともして、ますときに、宇士うじたかれとろろぎて、みかしらには大雷おおいかづちり、みむねには火雷ほのいかづちり、みはらには黒雷くろいかづちり、みほとには拆雷さくいかづちり、ひだりみてには若雷わきいかづちり、みぎりみてには土雷つちいかづちり、ひだりみあしには鳴雷なるいかづちり、みぎりみあしには伏雷ふしいかづちり、あわせて八雷神やくさのいかづちがみりき。

ここ伊邪那岐命いざなぎのみこと見畏みかしこみてかえりますときいも伊邪那美命いざなみのみことあれ辱見はじみせたまいつ、といしたまいて、すなわ予母都志許売よもつしこめつかわしてわしめき。伊邪那岐命いざなぎのみこと黒御鬘くろみかづらりて、てたまいしかば、すなわ蒲子えびかづらのみりき。ひりあいだでますを、猶追なおおいしかば、またみぎり御美豆良みみづらさせる湯津津間ゆつつまぐしきて、てたまえば、すなわたかむなりき。あいだに、でましき。且後またのちには八雷神やくさのいかづちがみに、千五百ちいほ黄泉軍よもついくさえてわしめき。御佩みはかせる十拳劒とつかつるぎきて、後手しりへでにふきつつませるを、猶追なおおいて、黄泉比良坂よもつひらさか坂本さかもといたときに、坂本さかもと桃子もものみ三箇みつりて、ちましたまいしかば、ことごとかえりき。ここ伊邪那岐命いざなぎのみこと桃子ももりたまわく、いましたすけしがごと葦原中国あしはらのなかつくに所有あらゆる、うつしき青人草あおひとくさ苦瀬うきせちて患愡くるしまんときたすけてよ、とりたまいて、意富加牟豆美おおかむづみのみことたまいき。

最後いやはてに、いも伊邪那美命いざなみのみことみずかましき。すなわ千引石ちびきいわ黄泉比良坂よもつひらさかえて、いわなかきて、各対あいむたして、事戸ことどわたときに、伊邪那岐命いざなぎのみこともうしたまわく、うつくしき那勢なせのみこと如此かくたまわば、いましくに人草ひとくさ一日ひとひ千頭ちかしらくびころさむ、とまおしたまいき。ここ伊邪那岐命いざなぎのみことりたまわく、うつくしき那邇妹なにものみこといまししかたまわば、あれはや一日ひとひ千五百ちいほ産屋うぶやててん、とのりたまひき。ここ一日ひとひかなら千人ちひとに、一日ひとひかなら千五百人ちいほひとなもまるる。伊邪那美命いざなみのみこと黄泉津大神よもつおおかみもうす。亦其またかいしきしによりて、道敷大神ちしきのおおかみもうすとえり。また黄泉坂よみのさかさやれりしいわは、道反之大神ちがえしのおおかみとももうし、また塞坐黄泉戸大神さやりますよみどのおおかみとももうす。所謂いわゆる黄泉津良坂よもつひらさかは、いま出雲国いづものくに伊賦夜坂いふやさかとなもふ。

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