- 読みやすいように神様の御名はカタカナで表記します。
- 旧字体・古語は現代語になおします。
- 神様は「柱」という数え方にします。
イザナミの埋葬
火の神である子を生んだことによりイザナミは、苦しみながら絶命してしましました。
イザナギは「愛する妻よ!子供とひきかえに命を落とすなんて、なんてことだ!」と、悲痛な思いを叫び嘆きました。
そして、愛しい妻が横たわるイザナミの枕元に腹ばいになり、足元に這いまわりながら涙の限り泣きました。その涙からナキサワメノ神(泣沢女神)が生まれました。
この女神は香具山の麓の木の下にいます。
その後、イザナミの遺体は、出雲国と伯耆国の境にある比婆山に埋葬されました。
イザナギの逆上
泣きくれるイザナギは、腰に挿していた大剣を抜いて、激情に任せるがままに生まれたばかりの子供のカグツチに切りかかり、首を落としてました。
すると、その剣についた血が湯津石村を走って生まれた神がイワサクノ神(石拆神)。
次にネサクノ神(根拆神)が生まれました。
次にイワツツノオノ神(石筒之男神)が生まれました。
次に剣のツバから血がほとばしって、湯津石村を走って生まれた神がミカハヤヒノ神(甕速日神)。
次にヒハヤヒノ神(樋速日神)が生まれました。
次にタケミカヅチノオノ神(建御雷之男神)が生まれました。別名をタケフツノ神(建布都神)、またの名をトヨフツノ神(豊布都神)といいます。
次に剣の柄に溜まった血が、指の間から流れ落ちて生まれた神がクラオカミノ神(闇淤加美神)。
次にクラミツハノ神(闇御津羽神)が生まれました。
ここまでイワサクノ神(石拆神)からクラミツハノ神(闇御津羽神)の八神は剣から生まれた神です。
カグツチの体から生まれた神
殺されたカグツチの頭から生まれた神は、マサカヤマツミノ神(正鹿山津見神)。
次に胸から生まれた神は、オドヤマツミノ神(淤縢山津見神)。
次に腹から生まれた神は、オクヤマツミノ神(奥山津見神)。
次に陰部から産まれた神は、クラヤマツミノ神(闇山津見神)。
次に左手から産まれた神は、シギヤマツミノ神(志芸山津見神)。
次に右手から産まれた神は、ハヤマツミノ神(羽山津見神)。
次に左足から生まれた神は、ハラヤマツミノ神(原山津見神)。
次に右足から産まれた神は、トヤマツミノ神(戸山津見神)。
(併せて八神が生まれた)
イザナギが斬った刀の名前はアメノオハバリ(天之尾羽張)といいます。
別名はイツノオハバリ(伊都之尾羽張)という。
イザナギ、イザナミに会いたくて黄泉の国へ行く
最愛の妻を亡くしたイザナギは、悲痛の思いで明け暮れていました。日毎に死んでしまったイザナミに会いたい気持ちが募り、 ついにイザナギは黄泉の国へとイザナミのあとを追って行きました。
一方、イザナギの突然の訪問に驚いたイザナミは、黄泉の国の入口まで出迎えました。
愛する妻の顔を見たイザナギは「イザナミ! 迎えに来たよ、一緒に帰ろう。まだ国つくりも途中だから。さあ帰ろう!」と言いました。
すると「あぁ…。もっと早く迎えに来てくれれば、よかったのに。もう黄泉の国のものを食べてしまい、黄泉の住人となったの。だから、現世には帰れないわ。でも、せっかくこうして迎えに来てくれたんですから、黄泉の国の王に相談してみます。その間、絶対にのぞいたりしないで下さいね」と答えました。
こう言い残すと、イザナミは黄泉の国の王の所へと帰った。
イザナギは、言われるがままに待っていた。
ところがいつまで待ってもイザナミが帰ってこない。早く連れて帰りたいイザナギは、すっかり焦れて、髪に挿していた櫛を抜き、その櫛の太い部分を一本折り取って、火をともした。薄明りを頼りに内部に入って見たものは、腐り果てたイザナミの姿だったのです。
イザナミの全身には蛆がたかり、頭にはオオイカヅチ(大雷)がいました。
胸にはホノイカヅチ(火雷)がいました。
腹にはクロイカヅチ(黒雷)がいました。
女性器にはサクイカヅチ(拆雷)がいました。
左手にはワカイカヅチ(若雷)がいました。
右手にはツチイカヅチ(土雷)がいました。
左足にはナルイカヅチ(鳴雷)がいました。
右足にはフシイカヅチ(伏雷)がいました。
合わせて八柱の雷神が居ついていました。
イザナミ、怒る
こがれるほど会いたかった妻は、美しさの面影もなく腐り果て、身の回りには雷神が付きまとい、何ともおぞましい姿になっていました。
イザナギはあまりの事に驚き、逃げるように帰りました。背中からは、地を這うような声を聞きます。
「あれほど見るなといったのに!よくも私に恥をかかせましたね!」
イザナミは、すぐにヨモツシコメ(黄泉の国の強い女)を呼び集め、イザナギを追わせました。
イザナギは、追いかけてくシコメ達をどうにかしなければと、髪につけていた黒いカズラを取って投げると、すぐに山ブドウに成りました。この山ブドウの実を、シコメ達が食べている間にイザナギは逃げ延びました。
しかし、更に別動隊のシコメ達が追ってきたので、今度は右のミズラに挿していた櫛の歯を折って投げると、タケノコが生えてきました。それをシコメ達が食べている間に、イザナギは何とか逃げ延びました。
安心したのもつかの間、イザナミは体に居付いていた雷神に、1500人の軍勢を従わせて追わせました。
イザナギは、後ろ手に剣を振りつつ逃げましたが、追手がゆるむことがありません。
黄泉比良坂にまでたどり着いた時、桃の実を3つ投げると、雷神の軍は退散しました。
イザナギは、その桃に感謝を述べ「お前は私を助けてくれたように、民が苦しいときには助けてくれ」と言い、オオカムズミノ命という名前を与えました。
最後には、とうとうイザナミ自身が追ってきました。
決別と人の生死
そこで、イザナギは大きな岩を黄泉比良坂まで引っ張ってきて、境界である坂の口を塞ぎました。
その岩をはさんで、イザナミとイザナギは最後の別れを告げます。
「愛しいイザナギよ。こんなことをするのならば、あなたの国の民を毎日1000人ずつ締め殺します」と言いました。
するとイザナギは「我が妻のイザナミ。あなたがそうするならば、一日に1500の産屋を立てましょう」と答えました。
これから毎日1000人が死に、1500人が生まれるようになりました。
そして、イザナミのことをヨモツ大神(黄泉津大神)というようになりました。
また、イザナギに追いついたことからチシキノ大神(道敷大神)とも呼ばれるようになりました。
黄泉の坂をふさいだ岩は、チガエシノ大神(道反之大神)と名づけました。もしくはヨミドノ大神(黄泉戸大神)ともいいます。
黄泉比良坂は、出雲の伊賦夜坂という場所です。
ここまでの原文
故れ爾に伊邪那岐命詔りたまわく、愛しき我が那邇妹命や、子の一木に易えつるかも、と謂りたまいて、御枕方に匍匐い、御足方に匍匐いて、哭きたまい時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾の木本に坐す名は泣澤女神。故れ其の神避りましし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺、比婆之山に葬しまつりき。
是に伊邪那岐命、御佩かせる十拳劒を抜きて、其の子迦具土神の頸を斬りたまう。爾に其の御刀の前に著ける血、湯津石村に走り就きて成りませる神の名は、石拆神、次に根拆神、次に石筒之男神。【三神】次に御刀の本に著ける血も、湯津石村に走り就きて成りませる神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷之男神。亦名は建布都神。亦名は豊布都神。【三神】次に御刀の手上に集れる血、手俣より漏き出でて成りませる神の名は、闇淤加美神、次に闇御津羽神。
上の件、石拆神より以下、闇御津羽神以前、并せて八神は、御刀に因りて生りまる神なり。
殺さえましし迦具土神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見神、次に胸に成りませる神の名は、淤縢山津見神、次に腹に成りませる神の名は、奥山津見神、次に陰に成りませる神の名は、闇山津見神、次に左の手に成りませる神の名は、志芸山津見神、次に右の手に成りませる神の名は、羽山津見神、次に左の足に成りませる神の名は、原山津見神、次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見神。【正鹿山津見神より戸山津見神まで、併せて八神】
故れ斬りたまえる刀の名は、天之尾羽張と謂う。亦名は伊都之尾羽張と謂う。
是に其の妹伊邪那美命を相見まく欲して、黄泉国に追い往でましき。爾ち殿の縢戸より出で向えし時に、伊邪那岐命語詔いたまわく、愛しき我が那邇妹命、吾汝と作れりし国、未だ作り竟えずあれば、還りまさね、とのりたまひき。爾に伊邪那美命答白したまわく、悔しき哉、速く来まさずて、吾は黄泉戸喫しつ。然れども、愛しき我が那勢命、入り来坐せる事恐ければ、還りなむを、且く黄泉神と相論わむ。我をな視たまいそ。
如此白して其の殿内に還り入りせる間、甚久しくて待ち難ねたまいき。故れ左の御美豆良に刺させる、湯津津間櫛の男柱一箇取り闕きて、一火燭して、入り見ます時に、宇士たかれとろろぎて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、并せて八雷神成り居りき。
是に伊邪那岐命、見畏みて逃げ還ります時、其の妹伊邪那美命、吾に辱見せたまいつ、と言いしたまいて、即ち予母都志許売を遣わして追わしめき。爾れ伊邪那岐命、黒御鬘を取りて、投げ棄てたまいしかば、乃ち蒲子生りき。是を摭い食む間に逃げ行でますを、猶追いしかば、亦其の右の御美豆良に刺させる湯津津間櫛を引き闕きて、投げ棄てたまえば、乃ち笋生りき。是を抜き食む間に、逃げ行でましき。且後には其の八雷神に、千五百の黄泉軍を副えて追わしめき。爾れ御佩かせる十拳劒を抜きて、後手にふきつつ逃げ来ませるを、猶追いて、黄泉比良坂の坂本に到る時に、其の坂本に在る桃子を三箇取りて、待ち撃ちましたまいしかば、悉に逃げ返りき。爾に伊邪那岐命、桃子に告りたまわく、汝吾を助けしが如、葦原中国に所有、うつしき青人草の苦瀬に落ちて患愡まん時に助けてよ、と告りたまいて、意富加牟豆美命と名を賜いき。
最後に、其の妹伊邪那美命身自ら追い来ましき。爾に千引石を其の黄泉比良坂に引き塞えて、其の石を中に置きて、各対き立たして、事戸を度す時に、伊邪那岐命言したまわく、愛しき我が那勢命、如此為たまわば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ、とまおしたまいき。爾に伊邪那岐命詔りたまわく、愛しき我が那邇妹命、汝然為たまわば、吾はや一日に千五百産屋立ててん、とのりたまひき。是を以て一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人なも生まるる。故れ其の伊邪那美命を黄泉津大神と謂す。亦其の追いしきしによりて、道敷大神と号すと云えり。亦其の黄泉坂に塞れりし石は、道反之大神とも号し、亦塞坐黄泉戸大神とも謂す。故れ其の所謂黄泉津良坂は、今出雲国の伊賦夜坂となも謂ふ。
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